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京ヶ倉990m
岩殿山の隣にある京ヶ倉へ足を伸ばす。南岳小屋の管理人がキレットよりも厳しいコースがあると紹介していた山だ。

地図を持ってなかったので、道路脇にあった標識を見ながら何とか登山口に到着する。近くにお地蔵様の説明書きがあった。

昔、村にえらい坊様がいた。たびたび疫病や災害が起きたので身代わりになって生きたまま土の中に入り、竹筒を地面に出して鐘をならしお経を唱えながら往生したので村人は助かったという。
現在は地蔵様、回国塔、供養塔、尼さんの墓がある。

生坂村教育委員会

 


大汗をかきながら「はぎの尾峠」に到着したが、江戸時代から昭和40年頃まで通学路や生活道路として使われていたので、登るリズムも一定である。

しばらくすると三角点があった。地図上では、ここが大城らしいが、どうやら違うようである。
1日に何度も山に登るとグッタリするが、今日はワコールのCW-Xを履いているので余計に疲れる。


大城跡に到着。見晴らしが良い蟻の塔渡りみない場所で京ヶ倉を確認する。先ほど登った岩殿山の位置がハッキリせず、なだらかな稜線が続いていたが、手前の秘境みたいな場所は入山地区だろうか?

大城跡の説明書きによると

@丸山氏の本城跡、標高約980m、仁科氏第一の要害城。
A本郭の広さ15m×13m、北側の下に郭が3ヶ所ある。
B水の手が東側の下にある。井戸跡もあった。
C物見台が南方の京ヶ倉と北方の下の物見岩にある。
D居館跡は西方尾根下の源三屋敷にある。
E水野藩の信府続記には「城主丸山肥後・丹波・兵庫などが相続し、武田氏と戦って没落したとあるが、史実はない。
F天正15年(1582)秋、小笠原に攻められて上杉方へ逃げた。

村指定文化財産 大城跡 生坂村教育委員会

 


痩せ尾根や岩場をトラバースしながら登り続けると、突然頂上に到着する。先客が居て驚かせてしまったが、京ヶ倉からの眺めは最高で犀川の蛇行した流れが物珍しかった。

登山口(12:50)〜はぎの尾峠(13:27)〜三角点(13:30)〜大城跡(13:54)〜京ヶ倉(14:13)〜はぎの尾峠(14:43)〜登山口(15:14)

2005年5月10日


登山をされる方へ

日帰りで帰ってこれる山登りが中心となっています。
山に登られる方は地元の警察や登山地図を参考に登山計画を立ててください。なお、このサイトはあくまで私が見た現地の様子なので、参考程度に御覧下さい。