海の口城跡 撮影日 2007年4月21日

海の口城跡に関する歴史と伝説

平賀源心(成頼)の出城で別名鳥井城ともいう。平賀氏は現在の佐久市平賀の平賀城城主であった。永正、大永年間の頃から甲斐(山梨県)の武田氏としばしば兵火を交じえた。文安、宝徳ごろからこの城によっていた。天文五年武田信虎は兵七、八千を率いてこの城を攻めた。平賀氏は兵三千にて城を固く守り落城の気配はなくまた大雪降りしきり歳末ともなったのでやむを得ず一旦甲斐に帰陣することにした。この時父信虎とともに海の口城攻略に加わっていた武田晴信(信玄)はしんがりにいて父の許しを得て兵三百人を率いて途中より引き返してこの城を奇襲した。一方平賀源心は武田氏の帰陣することを知り城の守りを解き兵を年取りに帰して寛いでいた。そこへ武田氏の奇襲にあい剛胆七十人力という流石の源心も嘘をつかれあえなく戦死し海の口城は落ちたのである。武田晴信はこの時若冠十六歳で初陣の手柄をたてた。時、天文五年十二月二十八日であった。

平成元年四月南牧村村制百周年記念

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