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堂津岳1927m  
長野県の鬼無里村にある堂津岳。新潟県と長野県の県境にある堂津岳は信州百名山の中でも登頂困難な山として紹介されている。かつては長電コースが存在していたようだが、現在では豪雪地帯特有のネマガリ竹に覆われ登山道が消えてしまった。堂津岳に登るには、薮漕ぎ愛好者以外、残雪期の短い期間を利用して登りたい。
GWに合わせて奥裾花自然園に通じる道路が開通するが、2001年は奥裾花自然園に通じる道路が通行止めになり、奥裾花自然園から堂津岳を目指す登山者は、ほとんどいなかったと思う。1年間の休息期間があった堂津岳は、どのように受け入れてくれるのか。2002年4月27日の道路開通に合わせて堂津岳を目指す。

午前4時に料金所を通過して奥裾花自然園の駐車場にやってきた。入場チケットには「00005」と記され、奥裾花自然園の駐車場には誰もいない。道路にはゲートがあり、ここで準備をして午前4時30分に出発する。 道路を歩いているうちに夜が明け始めた。誰も歩いていない道路は小鳥の鳴き声だけが響いている。ふきのとうは花を咲かせ、今年は暖かい事を実感する。

登山道の入口となる休憩舎を通り越し、雪の残る林道を淡々と進んでしまった。5分後に間違いに気付き休憩舎に戻ると、大きなカメラを持った写真家がやってきた。挨拶を交わしてルートの確認をしながら平成の森の奥にある木の橋を渡って森の中に進む。

深い霧の中を地図を頼りに進む。何処を見ても同じような景色だが、細い川に沿って歩いてゆく。

深い霧で50m先がどのようになっているか分からない。等高線の判断から急な斜面が現れてたら90度方向を換えて稜線を目指すようである。

相変わらず深い霧ので、いったどこまで登るのか不安がよぎる。稜線に続く斜面も傾斜がきつくなり、キックステップで着実に足場を作って登ってゆく。

稜線に近づくにつれて登れそうな雪屁の切れ目を探す。稜線には昔の標識が残されていたが、文字が読めないほど古い物だった。

稜線から堂津岳方面は快適な雪上歩行が待っていた。それほど危険を感じる場所ではなかったが、霧が発生している場合は、稜線から外れないように注意する。

稜線で携帯電話が通じた場所。山頂まで1時間以内で登れると予想したが、薮漕ぎに手惑い、だいぶ時間を費やしてしまった。この先、携帯電話は通じず山頂でも使用できなかった。

山頂手前の薮漕ぎ。誰も歩いていないから進むのに苦労する。昔の踏み跡と思われる場所にビニールの白いゴミがあった。

薮漕ぎが終わると痩せた尾根歩きとなる。距離は短いが落ちたら戻ってこれないような気がする。堂津岳で一番緊張する場所である。

堂津岳山頂。地図から判断すると手前のピークが山頂のようである。広々した山頂は1人では広すぎるぐらい広い。人間の足跡、動物の足跡が見られず、とんでもない山奥に来てしまった実感してしまった。振り向けば奥裾花の水芭蕉園が小さく見えるほど遠く、歩いてきた稜線の長さに秘境の二文字が浮かび上がった。奥のピークからは乙見峠に続く縦走路が確認できる。どちらかといえば、新潟県側のほうが雪が多いようである。

山頂で1時間近く過ごしてから東山に向かって下山する。遥かかなたに見える東山は雲の中にある。途中、本日初めて会う登山者と挨拶を交わし、赤テープを回収しながら稜線下降点まで戻った。

奥裾花自然園駐車場(4:30)〜休憩舎(5:04)〜登山口(5:16)〜稜線(6:32)〜奥西岳(7:17)〜薮漕ぎ開始(8:25)〜山頂(9:00-10:16)〜奥西岳(11:28)〜稜線下降地点(12:00)

2002年4月27日



「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平15総使、第244号)」


登山をされる方へ

日帰りで帰ってこれる山登りが中心となっています。
山に登られる方は地元の警察や登山地図を参考に登山計画を立ててください。なお、このサイトはあくまで私が見た現地の様子なので、参考程度に御覧下さい。