鴨ヶ嶽の山頂は、堀切りが深くて、なかなか見事である。山城の大きさから判断して、きっと勢力も強かったんだろう。
山頂にあった登頂ノートを見ると、夕方に登る人も多く、上田市の太郎山と同じレベルかもしれない。山ノ内町や志賀高原も見渡せるので、天気が良かったら申し分ない。
山頂にあった説明書によると
現状の大規模な構築は、戦国時代(1460年ごろから100年間)の初めのころ、高梨政盛が小館の居館とともに、修築拡大したものとされています。この鴨ヶ嶽城は比高差300メートルの独立尾根上に南北500メートルにわたっております。
本郭(本丸)は最高所にあって約8メートル×35メートルの長方形をなしています。その東と西に腰郭(こしくるわ)と切岸(きりぎし)を伴い、南には土壇(どたん)状の土塁(どるい)と深い堀切があり、北には堀切と段郭が続いています。また、南方の郭には、井戸跡と思われる施設も残っております。
東山地区森林空間総合整備事業
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