前のページにもどる

一夜山892m
白馬村から帰る時に、オリンピック道路を経由して自宅に戻っていたので、白馬五竜テレキャビン方面は、ほとんど行くことがなかった。今回は十朗の湯がメインだったので、そのついでに一夜山に登ってみることにする。鬼無里村にも一夜山があるけど、あっちの伝説とは関係なさそうだ。

白馬五竜テレキャビンの駐車場で登山口を探すが、どこにあるのか分からない。グルッと回って、どっかに登山口があったら、そこから登ろうと考えた。

一夜山林道を通って長谷寺にやってきた。立派な杉の木があって、説明書きによると樹齢五百年らしい。長谷寺の前は「塩の道」が通っている。北アルプスの山々から流れる透き通った水が、道路の脇を普通に流れているが、ずーっと昔から同じ景色なんだろう。

長谷寺を通り過ぎると一夜山の登山口がある。テレキャビンの駐車場と山頂の高さは、ほとんど同じぐらいだったような気もしたけど、ここからだと標高差100mぐらいかな?


登山道の脇に一夜山の三角点を発見した。
巣箱や木が雪で倒れないようロープで固定してあったけど、日常的に誰かが訪れてるようだ?

 

山頂の看板に飯森城阯の事が書かれてあった。

中世期、大町を中心とする地域に勢力を張った豪族仁科氏の支族であった飯森氏の居城跡。城は戦国争乱期の弘治年間、武田氏の信州侵攻の際、その武将山県正景によって落城し、城主飯森日向守十郎盛春は、小谷村の平倉山に拠って抗した。盛春の墓所は小谷村の玉泉寺に、夫人光姫の墓は飯森城下の長谷寺にある。

山頂の端に三尺防と刻まれた祠がある。ネットで色々調べてみると三尺坊だったら戸隠の修験者が・・・と書かれていたが、それと同じなのか?

 

  山頂から、ほとんど平坦な尾根を歩いていると、白いトレーラーハウスが見えてきた。音楽が鳴り響き、スキー場ではウォータージャンプが行われている。とっても気持ちよさそうだ。

一夜山林道の途中で二十三夜塔を見つけた。
「二十三夜塔とは何だろう?」と、前々から気になっていたので、ちょっと調べてみると「18世紀の後半から昭和の初期にかけて、旧暦の15、16、22、23日などの夜に、月が出るのを待ちながらお勤めや飲食をする・・・」となっていた。

 

長谷寺(10:13)〜三角点(10:23)〜山頂(10:37)〜駐車場(10:45)〜二十三夜塔(10:57)〜長谷寺(11:06)

2004年6月20日



「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平15総使、第244号)」


登山をされる方へ

日帰りで帰ってこれる山登りが中心となっています。
山に登られる方は地元の警察や登山地図を参考に登山計画を立ててください。なお、このサイトはあくまで私が見た現地の様子なので、参考程度に御覧下さい。