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唐鳥屋城跡1079m
「寛元二年(1244)藤沢大道という者、乱橋という所に館を建て居城す」という。小県の海野氏は木曽義仲の四天王のひとりで、藤沢氏はその海野氏の一族であり、当郷を拝領して守っていた。菩提所は禅宗の滝沢山久祥寺で、主本尊は鏡大明神と古書にある。城は長さ13間、横3.5間、南向きで、藤沢帯刀が寛正年中に築いたが、天文年間小笠原の兵に滅ぼされた。

本城村教育委員会より引用
 


花川原峠から虚空蔵山へ行くつもりだったが、登山道が無いので唐鳥屋城跡に登ることする。
立峠の分岐に戻り、立峠石畳の途中まで車で進んでみたが、途中で動けなくなりそうだったので、立峠を諦め、再び花川原峠に戻って獣道を歩き始めた。

 

将軍の代替わりの度ごとに巡見使がやってくるが、その応対が大変であった。天明八年の記録(乱橋村吉重の控)に次のような記述がある。
「会田御止宿、桑原御宿まで内、坂北組十二か村名主会田御止宿までの罷出候う事。坂北十二組か村命主組頭百姓代などの立峠峯まで未明より出張道橋普請の儀は会所西城弥四郎方に相立ち、麻績、坂北組相談にて和談の上乱橋村より立峠峯まで、乱橋、西城、東条、大沢新田四か村にて作り申し候う。」
このように、本城村全部で立峠の普請をしなければならなかったわけで、石畳にしたらどうかという意見が出るのも無理はなかった。

立峠石畳 本城村教育委員会より引用


登山道のような獣道を歩いて山頂直下までやってきた。カモシカの足跡があったので、近くに居るんじゃないかと静かに進むが、山頂付近に姿は無かった。
乱橋から見た唐鳥屋城跡は、木が伐採され、いかにも山城らしい姿だったが、山頂は狭くて誰も訪れなようである。


花川原峠(14:56)〜山頂(15:08)〜花川原峠(15:18)

2004年11月21日

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平15総使、第244号)」


登山をされる方へ

日帰りで帰ってこれる山登りが中心となっています。
山に登られる方は地元の警察や登山地図を参考に登山計画を立ててください。なお、このサイトはあくまで私が見た現地の様子なので、参考程度に御覧下さい。