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西山城跡 大洞山1093m

マッケンと爺ヶ岳に登る約束をしたが、いつものように待ち合わせ場所に現れなかったので、天気が悪いことを理由にテレマークスキーで爺ヶ岳に登るのを中止して、近くの西山城跡へ行ってみることにした。


登山口には、西山城跡保存会によって歴史が詳しく紹介されていた。

「この城の城主は、仁科氏配下の矢口氏であり、室町時代の記録に備後守知光、同則知などの名をとどめる。西山集落にはその館跡や菩提寺であった松庵寺の跡、矢口氏の墓と伝える五輪塔などもある。
西山城は戦国時代の末期、仁科氏の滅亡とともにその使命を終え廃絶したと考えられる。」


昔の様子を想像しながら西山城跡の山頂にやってきたが、三の曲輪から一の曲輪まで遠すぎる。長い尾根を利用しているので、あまり強そうな感じもしないが、千国街道を行き来する人にとっては、きっと威圧感があったかもしれない。

予定通り城山までやってきたが、あまりにも近かったので大洞山まで足を伸ばすことにした。
藪こぎ覚悟で尾根沿いに進んでみると、それなりに踏み跡があって歩きやすい。猿も群れで歩いてて、いかにも里山らしいが、車で道路マップを見てきただけなので、どこが山頂なのかハッキリしない。

気温の上昇と共にボタボタと雪が落ち始め、背中に入るとビックリするぐらい冷たく驚く。今日は念の為にアイゼンを持ってきたが、標高が低すぎて必要なかったようだ。久しぶりに登山靴を履いてみたが、ポリウレタン素材の経年劣化は、まだ大丈夫そう。靴底が磨り減っているので、別の意味で交換時期かもしれない。


しばらくすると松茸山の境界線を示すビニール紐が現れ、一番高そうな場所に到着。ここより高い場所は無いので、たぶん山頂だと思うが、標識が見当たらないので訪れる人も稀かもしれない。

帰りは、ショートカットしようとして道に迷い、余計な体力を使って下山。
水分を補給しないトレーニングも兼ねていたので、ちょっと疲れてしまった。
 


登山口(7:13)〜城山(7:41)〜大洞山(8:36)〜城山(9:32)〜登山口(9:52)

2006年4月22日

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平15総使、第244号)」


登山をされる方へ

日帰りで帰ってこれる山登りが中心となっています。
山に登られる方は地元の警察や登山地図を参考に登山計画を立ててください。なお、このサイトはあくまで私が見た現地の様子なので、参考程度に御覧下さい。